書籍・雑誌

2008年7月12日 (土)

プリズン・ストーリーズ

「ケインとアベル」でベストセラー作家となったジェフリー・アーチャーはサッチャー政権の広告塔とも言われていたが、とある事件をきっかけに投獄される身となった。


その時の体験を元に書いた短編の数々である。


相手が作家であると分ると、自分の人生を語りたくなるのはよくある話だ。犯罪者という日常を逸脱した人間であるなら、尚更語りたい人間も多いらしい。己の”特別な体験”について。勿論そのままでは小説にはなりえない。それをどう料理するかが作家としてのアーチャーの腕の見せ所となってくる。


ここに登場する犯罪者、昨日までは一般市民である場合が多い。真面目に生きていた人生が、ある日、ある事をきっかけに狂ってしまう。そして彼等は牢獄に送られる。もしも作家と出会わねば、彼らの人生は世間と隔離された世界で風化するのみだったであろう。


人生は何が起きるか分らないが、人は生きる事をやめてしまうよりは、生きる事への知恵を働かそうとする方が多い。社会と個人の思惑は必ずしも一致しない。裁判も警察もどこに基準を置くかで公平の意味が異なってくる。無罪も有罪に変貌する。


シニカルなユーモアの中に漂うのは、彼らへの何処か暖かい視線である。それは自身にも起きてしまった出来事であるからだろう。いや、読者にそれを感じさせるのも、作家の手腕という所か。





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2008年7月 7日 (月)

文壇うたかた物語

編集者であった人から見た一時代の文壇の話である。


文壇もどの分野の集団でも、結局は人付き合いと運なのだと思う。才能は必要だろうが、それ以上に必要なのは商品を生み出せる機械として上質であるかどうかだろう。編集の目から見れば、作家は芸術家ではなく商品なのだ。


賞というのも、かなり怪しいと分る。
選者と作品の相性も大きい。


マスコミを利用した自己アピールの上手い作家が、つまらない作品でも賞を取れるのは、賞そのものが宣伝に作家を利用するからだというきな臭い話は、今更だろう。


先日観た太宰治をモチーフにした舞台の中でも、その事は語られる。傑作と呼べるものを書くか、売れるものを書くかに悩む作家の話である。自分の書きたいものを書くと売れない、しかし己の気持ちを曲げてまで編集のいいなりに書きたくない作家と、売れるものを書くのがプロだと言う作家と。


青臭いと笑い飛ばすのは簡単だ。


とある専門学校の先生と話した。酷い文章でもベストセラーになっている。それはどんなに酷い文章でも売れるのには理由がある。我慢して読めと。職業としての作家を目指すならそれは、流行に乗る事は必要だろう。編集や同僚に青さを笑われながらも、その中で磨り減っていく魂の叫びが、名作を残す事もある。


太宰治没後60年、彼と同年代の流行作家の名前を、咄嗟に幾つも上げる事が出来る人は文学史にかなり詳しい人だろう。


何が名作かは、結局は自分で本を読んで探すしかないのだ。
感動の基準は個人的なものであるから。


さあ、今日も本を探しに行こう。
私だけの名作を求めて。





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2008年7月 3日 (木)

ルネサンスとは何であったのか

歴史の意味はいつも後付の理由で作られていく。

その渦中にある時は思いもしなかった事が「真相はこうだ」と言われているのではないかと、墓の下にいる人々に聞いてみたくなる時がある。


国土そのものが偉大な歴史の墓場であるイタリアで、筆者は暮らしながら考えている。いにしえの思想家も政治家も歴史家が眠る上を歩きながら、地の下の声に耳を傾けている。


日本という狭く暗い国の中では起こり得なかった華麗なる文化、そしてその遺産はいまだに多くの人々を養っているのだ。なんという膨大な遺産。相続税すら取られない。時代で評価が変化する事件や個人の名誉と不名誉や醜聞という利子すら稼いでいる。


文化と経済と政治の切り離せない関係。
その絶妙なバランスの支点があった場所。

神々の住まう場所には、恩恵が多いのかもしれないと思う。そういう場所では、偶然と必然は同じ意味となる。


そんな事を想いながら・・・





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2008年7月 1日 (火)

殺意のコイン

サニー・ランドルの新作。ジェッシイ・ストーン・シリーズの方で結局はジェッシイも別れた彼女は、今回は父親のフィルとコンビを組む事になる。20年前に逮捕出来なかった犯人の再びの犯行、そして犯人からフィルへの手紙の謎・・・


事件の進行と並行して、サニーと父親との信頼、母親との不和、そして元夫のリッチーとの関係が描かれていく。


コインの意味が大した事がなかったのが拍子抜けだ。しかしこの小説は推理を楽しむよりもサニーの生き方を知る楽しみの方に重きが置かれているのだ。

リッチーが再婚相手と上手くいかなくなる。サニーへの未練が原因だ。まったくもって、子供まで作った相手に「サニーに未練がある」と言う位なら、何故再婚したのか。アメリカ人で精神科医にかからない人間は、こんな事をしでかすという見本なのだろうか。サニーも未練たらたらにリッチーとよりを戻したいのに「自分は結婚に向いてない」と頑固に言い張る。自己主張と権利ばかりを気にしすぎると、こんな馬鹿げた事になる、そんな見本として描かれているのだろうか。


いつもながら精神科医のスーザンは静かに微笑んでいる(彼女とスペンサーとの生活については、もちろんサニーは何も知らない。スーザンは完璧なハーバート出身の博士なのである)。


どっちにしても、ハッピーエンドの匂いがする。


次の作品では、またちょっとリッチーとの事でぐずぐずとスーザンに愚痴を言いそうだ。そのうちに新しい男と巡り合い、やっぱりリッチーがいいと思うのだろう。そんなサニーはきっといつまでも犬を相手に窓辺で絵を描いているのだろう。しかし彼女がどんな絵に興味を持ち、それどころか本当に絵が好きなのかどうか、そのあたりが全然伝わって来ない。それがこのシリ-ズの最大のミステリーである。





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2008年6月 7日 (土)

素人包丁記

ショージ君との大きな違いは、後味良く読ませてくれる点がない事である。毅然たるモラルを絶妙のユーモアで味付けして、読者を楽しませてくれる「丸かじりシリーズ」が、いかに稀有なる本であるかという事実を、再確認してしまった。


マスコミ有名人は、自己アピールがすべて。


古書を引用しているが「俺はこれだけ資料の為に自腹切った」を自慢する以上の効果は感じられない。美味いものではなく「まずいものが良い」という部分で「俺は他とは違う」と主張するのが、この人の売りなのだろう。新聞紙をあぶって美味だという人が、一方では玄人の職人の寿司に「一家言」は嘘にしか聞こえない。


二度読む気にはならない本だった。美味について文章を書くのは本当に難しい。それを教えてくれる点では、とても為になったと思う。


食物に関するエッセイを読むたびに、未知の美味を求めて彷徨している気分になる。私の欲しい味はこんなものではないと・・ないものねだり、なのであろうか(苦笑)





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2008年5月28日 (水)

怖ろしい味

過去はいつでも美化される。思い出はいつでも美しい。
味もおそらく美味になる。

記憶の曖昧さは人に与えられた恩恵である。


作者がかつて未婚の母と言われた女性と夫婦であった時、妻であった人は「自分達こそ運命のカップル」と各所で書きまくっていた。いかに二人は教養があり洗練され、味がわかる人間であるかと。自己アピールがすべての世界では、どんな虚飾でも必要な時があるだろう。過去の虚飾は知らぬ存ぜぬで通したい場合、忘却は最大の味方となる。料理もそうだろう。失われた食材、職人、名店・・・・だが毎日フォアグラとトリュフとペトリュスで暮らしたいと思う日本人はいるのだろうか。


本当の贅沢は、贅沢をそれと思わない事だ。


ブランド名を並べ立てても、それを心から楽しんでいるかどうか、伝わって来ないのなら、そんな文章を読むよりもカタログを眺める方がましというものだ。有名人と知り合いなのを自慢したい気持ちで鼻がピクピクしているのが、読み手に透けて見えてしまった瞬間に、一切の虚飾は崩れ去るのだ。


ゆとり、余裕・・・・


それらが行間に感じられるなら、この本は面白いと思う。





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2008年5月20日 (火)

池波正太郎の食まんだら

どの分野でも、大家が死ぬと「私が先生と一番親しかった」と言い争うのは、良くある事らしい。特に死後これだけ経っても忘れられぬ人であれば。死人に口なしであるから、どうとでも言える。


池波氏の書生だった称する人が、生前に氏が愛した店について書いている。他の本でこの作者について「今更どのツラ下げて」的に書かれていたが、その真偽はともかく、品性のなさや小者ぶりが鼻につく。師匠であった人への真の尊敬もなければ、店に対する敬意も薄い。呵々などとわざとらしく書く所にも、卑屈な性根が見え透いてしまう。食について一家言あるらしいが、的外れではないかと感じられるうそ臭さが漂う。


何故だろう。


単なるガイドブックとしてなら、役に立つかも知れないが、池波氏の本を引っ張り出して読み返した方が、ずっと後味の良い時を過ごせる。氏の本の真の面白さは、店の紹介にあるのではなく、店を通して様々な人生や世の中の醍醐味を語っている所にあるのだから。





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2008年5月17日 (土)

ダブルプレー

ハードボイルドとは、自分のルールで生きる男達の事だという。現代は彼らには行き難い世の中になってしまったようだ。この小説の舞台は1947年のアメリカ。そこには戦争の傷跡は深くても、彼らの生きる場所がまだ残されていた。


戦地から戻ったバークを待っていたのは、妻が男と逃げ出した後の空っぽの部屋だった。身体にも心にも深い傷を負った男は、街に出る。彼のありついた仕事は黒人大リーガー・ジャッキーのボティガード。バークの戦いが再び始まる。


バークとジャッキーの間には奇妙な友情が芽生える。ロバート・B・パーカーお得意のハードボイルドの世界。筋書きはいたって単純だが、現代物よりも生き生きと男達が描かれているのは、やはり時代のせいだろうか。


戦争と離婚で感情を捨ててしまった男が、再びそれを取り戻すまでの物語でもある。


ヴァット69を飲みたくなる。69番目の樽の話が伝説に過ぎないかどうか、私は知らないが、バークならそんな事は気にしないに違いない。


近年の彼の小説の中では、一番気に入った。





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2008年5月13日 (火)

黒のトリビア

知らなくても良いが知ってたら役に立つ事がある・・かどうかは微妙な事柄が多い。


ミステリーや2時間ドラマが好きな人なら、良いかも知れない。
ドラマのリアル度の検証が出来る。


殺人、犯罪、裁判に関する内容の信憑性はともかく、暇つぶしの一読には良い本だった。


それだけかと言われれば、それだけの本である。
文庫本でなければ購入しなかった。作る方の狙いもそこだろう。





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2008年5月10日 (土)

ジャン・ルノワールエッセイ集成

香港のザ・ペニンシュラのロビーだった。
私は午後のお茶を待ちながら、行き交う人々を眺めていた。


香港人の女性に近寄り、笑顔ですっと肩を抱いた白人の男性がいた。待ち合わせらしい。肩を抱いた仕草のさりげなさに、この人はフランス人だろうと思った。聞こえて来た会話は、やはり francais だった。


印象派の大家を父に持つ映画監督は、エッセイの中でこんなエピソードを披露している。ハリウッドで活躍していた有能な撮影技師がフランスで戻って来た理由は「女性の相手をした時のアングロ=サクソン人の態度は”まっとうじゃない”から」。それを「立派な理由だ」とうれしげに書くジャン・ルノワールもまさにフランス人なのだ。


彼らにとって、女性は単なる性欲の捌け口ではなく、人生の喜びの一部なのだ。それは女性にとっても幸せな事だと思う。甘い言葉も態度も現実にはお目にかかる事が稀な日本人の私は特にそう思う。


彼の映画にあふれる光の正体は、きっとそんな所にある。
人への愛がある。生きる事への賛美がある。


仕事としてシニカルに語られる映画に関してだが、そこには謙遜を感じる。そして言葉で言わずとも「スクリーンで充分語っているじゃないか」という自負も感じられるのだ。偉大な父の影に隠れる事無く、彼自身も映画史に光り輝く存在なのだと、あらためて感じ入った本だった。





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2008年5月 7日 (水)

フランス・ロマネスクへの旅

病の床にある時は、神が近づく気がする。現金なものである。
そういう時にはこんな本を広げてみるのだ。


「苦しい時の神頼み」は全世界の共通の感情で、この建造物達にこめられた祈りは、どれもそこから発生する。だが祈りは進化する。より敬虔な方向へ、或いは世俗的な栄誉へと。


金と権力と仲良くなければ、こんな壮大な聖堂は生まれないのである。


それでもそこに純粋な信仰がなかったかといえば、そうではないと思う。宗教は悪魔に乗っ取られて利用される事が多いが、神を信じるという真摯な思いを持ち続ける人々もいるのだ。


私は宗教は信じないが、信仰は否定しない。
それは狂信や盲信とは別物であるから。


そして芸術というのもまた、神の与えた恩恵である事は、ここに紹介された建造物が物語っている。人がどんなに汚れた欲望で始めた事でも、本人も知らずのうちに神が浄化へと導く事もあるのだと。





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2008年4月19日 (土)

二十億光年の孤独

谷川俊太郎の詩に出会ったのは歌が先だったと思う。
或る歌に彼の詩が使われていたのだ。


詩には二種類あると思う。
心で読みながら一人静かに感じ入るものと
声に出して読むと更に心の底まで染み入るものがある。


谷川俊太郎の詩は、後者だと思う。


はっきりとした母音が心地よく、難しい言葉を羅列するのではなく
どこにでもある言葉を拾い集めて丁寧に並べてある。


柔らかく、そして鋭い。


この本には「私はこのように詩をつくる」も掲載されている。これは創造はつまる所理屈ではないという、小説家も画家も詩人も含めて(おそらく神も)常に抱えている思いが、そこに書かれているのだ。もし理屈や法則だけで名作が生まれるなら、今の世の中ならそんなソフトが出回っているだろう。


初音ミクだって、使う人がいてこそだ。


自筆ノートの写真や巻末から読むと英訳も楽しめる。対訳の詩集を読むといつも思うのだが、言葉の響きをそのまま他国語を使う者に伝えるのは難しいが、詩の持つ魂の響きを伝えるのは可能だと思う。訳者が詩人の心を持つのであれば。





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2008年4月 8日 (火)

忘却の河

若くしてこの世を去った俳優の墓へ行った事がある。

墓石は海を臨む高台にあり、街中から離れてはいないはずなのに、聞こえるのは潮騒だけであった。まだ瑞々しい花びらを持つ花が供えられ、彼を惜しむ人が今もいる事を示していた。


私の生まれる何年も前に死んだその俳優に、特別な思い入れがあったわけではない。そこへ行ったのは、友人に誘われたからであった。友人の母が好きだった俳優であった。友人は母を亡くしたばかりであった。


人は「何故自分は生きているのか、生きる事に価値はあるのか」と、考える時間をあまり持たない様に、忙しく生き、慌しく時を過ごしている。死んだ後に自分が残せるものはあるのかなどと、思わない様に生きている。あえて・・・


著名有名な人々も、後世に名をや功績が残る人などほんの一握りに過ぎない。ましてや我々の様な塵や芥の如き存在は消えてゆくのみである。


それでも、時に立ち止まり
過去に思いを馳せたい時がある。
この小説の主人公の様に。


それが空しいだけの行為などと、誰にも言う事は出来ない。残された未来を生きる為に、それは糧となる時もあるのだから。たとえすべてが、死の後に消えてしまうと知ってはいても。




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2008年4月 6日 (日)

幼年期の終わり

アーサー・C・クラーク(アーサー・チャールズ・クラークだが、私はあえてこう書きたい)の訃報を知った時、彼は次の段階へ移行したに過ぎないのだと思った。それはSFという分野の無機質で硬質な世界の中で、彼の精神は柔らかく、いつも遥か遠くを見ている様な気がしていたからだ。


精神世界という身の毛のよだつ言葉が流行った頃、「幼年期の終わり」の結末は、来るべき人類の進化の有様を見事に描いたともてはやされたものだ。古代の神々の記録や宇宙からのメッセージや瞑想の中で、それと同じ未来の啓示を受けたらしき人々が多かったらしい。


ユングの集合的無意識という言葉は、その手の人々に都合良く使われ過ぎたきらいはあるが、もしも小説のような事態になるとすれば、個人の幸福という概念は消え去り、小さな人形達が機械仕掛けで歌う「世界はひとつ」のみが、人類の勝利の凱歌となるのだろう。


「2001年宇宙の旅」がキューブリックの手でセンセ-ショナルな映画となったばかりに、作者としてはいらぬ苦労もしたらしい。当時の顛末を書いた暴露本(通常そう呼ばれる物よりは遥かに知的で上品な)を読むと、クラークが夢想家ではなく、英国人らしい合理主義とユーモアを持ち合わせていたのが感じられる。


その理性あってこその未来絵図は、電波的言動とは無縁の、精神の背筋を伸ばして読むべきものなのである。




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2008年3月29日 (土)

内館牧子の仰天中国

「行くなら今だ!」と言われても、おいそれとは行かれないVIPな旅が大部分である。


世話をしてくれるスタッフ、道中の交通の便や案内をしてくれるガイド、それらを雇う財力と時間がなくば「行きなさい」と言われても行かれないのが、中国の奥地なのだ。せいぜい、北京や上海、香港が関の山であろう。


この本が特に推奨する面白い場所は、それ以外であるが。


脚本家である作者の目は人々の暮らしを鋭く観ている。そしてそれは日本人を描く事を生業とする彼女から、様々な反応を引き出す。職業的な遠慮もあるだろうから、はっきりとは言わないが、多くのものに恵まれ、五体満足であるのに、TVドラマを口をぽかんを開けて見ているしか娯楽のない人々への痛烈な皮肉が匂う。


人間としての誇りとは何か、生きるとは何か・・・


当たり前の事を当たり前に、日本はそれが一番難しい社会になっている。そして彼女を感動させた誇り高き人々の生活も又失われつつあり、遠くない将来、彼女が嘆いた日本の堕落が、この場所にも押し寄せる事を彼女は感じているのである。


それは、横綱の品格が失われたのと同様に・・・失われた事すら、もはや理解出来ない人々がどんどんと当たり前になっていく様に。





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2008年3月16日 (日)

影に潜む

ジェッシイ・ストーン・シリーズの一作。先に読んだ「訣別の海」よりも前に書かれた作品である。映像化もされている。


殺人を快楽とする金持ちの夫婦。彼らには罪の意識はない。ゲームの様に人を殺し、殺した後の興奮の中で、二人が交わる事を喜びとしてる。彼等はジェッシイを田舎者の警察署の署長と馬鹿にしたが、ジェッシイは彼等の思ったほど愚かではなかったのだ。


並行して、レイプされたハイスクールの少女と、まったく反省の色を見せない人間の屑の少年三人とのジェッシイの交流が描かれる。そして、殺人事件をジェッシイが担当している事を利用し、自分をTV局に売り込もうとする元妻ジェン。


ジェンは人間としても女としても唾棄すべき存在だが、ジェッシイにはかけがえのない人なのだ。美人でセックスが上手い。そして自分を必要とする。自分がいなければダメになる。そんな風に思っている。男女を逆転すれば、悪い男に騙される女の典型的なパターンである。


「訣別の海」では、ジェッシイはジェンと再び一緒になっている。彼女にいくら利用され、彼女がいくら浮気をしても、彼は彼女を諦め切れないのだ。そして彼女もまた彼の庇護を必要としている。愛とは、そういうものだと言いたいであろうか。相手が出来の良い人間だから愛するのではないと。


スペンサーシリーズに比べると、読後の爽快感は少ない。けれども、完璧でない人間の悲哀と誰もが持ちえる人生の過ちの可能性について、いつも考えるきっかけを与えてくれるのだ。


最新作の翻訳を待ち望む。



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2008年3月 6日 (木)

なんどもなんども行きたくなるディズニーランドの不思議

今年で25周年となるディズニーランドの成功を手本に、仕事の姿勢、企業の姿勢を語っていく。著者はアメリカのディズニーで働いた経験を持ち、東京ディズニーランドの立ち上げに携わった人物。


なぜリピーターが多いのか?
「自分達は大切にされている」とゲストに思ってもらう事。
「自分達は大切にされている」とキャストに思わせる事。


良くある話と言えば、そうだ。そこで衝突する、コスト、利益、効率化の数字の罠。数字には表れない部分が、実は重要だという事。それは、企業や仕事だけではなく、幾らでも応用が利きそうな内容である。


そして・・・現実、その情熱と方法を貫くだけの強い意志があったとしても、ままならないという事。だが、諦めるばかりではいけないという事。結局は、人間なのだ。人間としての生き方に繋がってしまうのだ。


ミッキーの笑顔が永遠なのは、ずっと笑う事が、彼に出来る最良の方法だからである。





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2008年3月 3日 (月)

訣別の海

パラダイスの警察署長ジェッシィ・ストーン・シリーズの五作目になる。


元妻のジェンと再び仲が良くなった姿が登場する。翻訳の時期の関係で、サニー・ランドルとの熱愛と別れよりもこちらを先に読んだ読者は、混乱するかも知れない。どちらにしても、ジェッシィは、自分を裏切って男と寝る事でビジネス界で生き抜いていくジェンを諦めきれない、未練たらしい男なのである。


ジェンはジェンで、ジェッシィを上手く利用している。自分の行為を正当化し、彼女の浮気に悩むジェッシィの方こそ「変だ」と、精神医通いをさせているのである。そしてジェッシィにサニーという恋人が出来ると「レイプされた」と嘘を言い、ジェッシィの関心を引き戻す。


外見の綺麗さだけがすべての、実に狡猾で嫌らしい女だが、どうやら作者はこういう女がお好みの様で、かなり好意的な描き方をしている。「女は外見がすべて」だと、割り切っているというのか、実に男性本位だが、結局はこれが男の本音という所だろうか。


パラダイスで行われるヨットレースがらみの仕事にジェンは抜擢される。今回もジェッシィを都合の良い様に利用する。警察署長のジェッシィがいれば、トラブルなく撮影が出来ると売り込んでの事である。そして、彼女と関係のない所で事件は起こり、ジェッシィは多忙となる。


多忙の中で、アルコールの誘惑と戦い、そして愛について考える。


精神科医に「貴方は正しい」と言ってもらわねば、自分が誰を愛しているかも分からないアメリカ人は、不幸だと思ってしまう。元々目に見えない、割り切れないものである感情を、契約書という目に見える、打算的なものに置き換えねば安心出来ない彼等には、やはり精神科医が必要なのだ。


凄いな、世界の平和を護ると称する国の国民が、精神に不安を抱える人々ばかりとは。愛も世界平和も、所詮はそんな程度の価値しかないのかも知れない。妄想の中で膨れ上がる俺様正義と至高の愛のはざまで。

そんな皮肉ばかりを考えてしまう、爽快感のない物語だった。





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2008年2月29日 (金)

トルーマン・カポーティ(上)(下)

天才作家の栄光と悲劇・・・そう簡単に要約して良い人生なら、トルーマンは幸福であったと思う。そんな単純な人生を送る人間など、誰一人としていない。


この本は、オーラル・バイオグラフイという手法が取られている。彼を良く知る(或いは一面のみを知る)人々の証言の羅列の中に、だまし絵の如く彼の人物像が浮かびあがって来る仕組みになっている。


人々の話には、食い違いがある。記憶違いや思い込みのあろうし、あえて隠されたもの、誇張されたり、アレンジされたものもあるだろう。だが、素材の持ち味が強烈であれば、そのすべてを消し去って料理をする事は不可能なのだ。どんな名シェフであろうとも。


「彼はこうだった」「彼はああだった」と決め付ける人々。少なくとも、トルーマン自身よりも世界に名を知られた人はほとんどいない。海の中を泳ぐ魚を陸の上から見ただけで、どんな思いで魚が泳いでいたかなど、理解出来るのだろうか。


或る時代が存在し、空気がそこにあり、それを呼吸した人々がいた。


トルーマンと通して、我々は時代劇の観客となるのだ。爛熟と退廃と腐敗と堕落の中で、品格も伝統も誇りも変質していった時代の。そして今も、世界は腐り続けているという現実の時間が、自分の傍らを流れている事を感じながら。





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2008年2月19日 (火)

ドリームガール

スペンサーシリーズの34作目である。訳者が代わってから、会話に硬さがどこかに感じられるが、それでもスペンサーやホークといった、お馴染みの面々に再会出来るのはうれしい。


そう・・・再会。


今回のヒロインとなるエイプリル・カイルは、過去に「儀式」「海馬を馴らす」にも登場した。売春をしていた少女は、あれから歳月を経て、自分で売春宿を経営する女になっていた。こういう、後日談的な物語も、長いシリーズならではである。ホークやスーザンだけでなく、警察もゴロツキも裏社会の住人も、スペンサーの幅広い知り合いが、事件に関わってくる。


スペンサーが生きている様に、彼等にも人生があり、誰もがハッピーエンドではなく、誰もが善人になったのではない。そして、スペンサーは自分が神ではないと知っている。それでも、出来る事をしようと奔走するのである。


結末は、悲劇かもしれない。


だが、そこには「お可愛そう」的な、意味不明の同情はなく、普通に生きていく事が、ある種の人間には難しいという、事実が描かれている。それを噛み締め、真正面から受け止めてもタフでいられる男が、そこにいた。


少なくとも、そこに二人。




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2008年2月14日 (木)

有栖川の朝

久世光彦らしい題材だと思う。


有栖川宮の名前をかたった詐欺師の事件に、大層興味を持ったらしい随筆を読んだ。その後に出た小説がこれだった。すぐにばれてしまうだろうと、子供でも分かりそうな計画を、奇妙な情熱をかけて作り上げた犯人達。もちろん、この作品の中の犯人達は実在の人物ではない。


人間の品位や格というものは、この世界から消えつつある気がする。TVを見ても、気品など欠片もない女優が姫君を演じ、誰もそれを不思議に思わないらしい。金のある事=気品がある事ではない。それは昔から周知の事実ではあったが、その事実すら無意味になる世界が、現実になりそうなのが、今である。


久世光彦のドラマの世界は、いつも少し昔で、失われつつあるその世代の情緒や人情を、確かな手ごたえで感じさせてくれたものだった。今時の上っ面だけを真似た似非昭和趣味とは、まったく異なるのである。


この小説を味わうには、昭和を模した安っぽいアミューズメントは忘れた方がいい。




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2008年2月 4日 (月)

シャネル 人生を語る

「有名人の話した事」をネタにした本の場合、気をつけねばならぬのは、書いた人が本人にとってどの位置にいたかという事である。良く週刊誌で「親しい友人の話」などと載っているが、本当に親しいのであるなら、本人の恥になる様な事を、ペラペラしゃべるはずはないからである。

親しい(自称)でない場合、当人の不利になる内容、イメージに傷をつけるエピソードは避けるだろう。「嗚呼、あの人らしいな」と読者が思うものに限定すると思う。それは往々にしてつまらない。


だからこそ、えげつないゴシップ記事やワイドショーは、すたれる事がないのだ。


ここで「シャネルが語った事」とされている文章も「イメージとしてのシャネル」から一歩も外に出ていない。新鮮味もなにもない。自分の生き方を否定されようものなら、あの細い眉を吊り上げて怒りそうなプライドの高い女性。先祖から当たり前の様に受け継いだ高貴や財産ではなく、自分の腕と身体で何もかも得て、のし上がって来た女性が、誇り高くこちらを睨んでいる。


自分はお金に汚くない、幾ら儲けたか知らないとうそぶくのは、こういう女性が自分で謙遜と思っている故の言葉であろう。もし本当にそんな事に興味がないなら「誰それにお金を出してあげた」などとも、同様の慎みをもってして語る事をしないはずであるから。


したたかでなくては生き残れない世界で君臨した女性の強さ。
それが充分に伝わる内容である。





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2007年12月11日 (火)

秘められた貌

ジェッシィ・ストーンのシリーズ。
サニー・ランドルとの共演もこの作品で終わる。

パラダイスの公園で人気テレビ・スターの遺体が発見された。彼の愛人はゴミ箱の中で同じく遺体となっていた。彼女は妊娠していた。派手なスキャンダルは知事の介入にまで及ぶが、ジェッシィは動じない。

誰もが悲しまない彼の死。そして元妻ジェンのレイプ事件。ジェッシィは公私ともに”愛”について考える事を迫られる。サニーとの良い関係にも亀裂が生じる。精神科医の言葉が作り上げるアメリカ人の愛は、見えない心の動きを無理に見えるものにしようとするジレンマで、更に人々の心を荒廃させていくかに思える。

誰もが愛について考えすぎ、素直に感じる事をやめてしまった社会。

自分の利益に結びつくものこそが愛。ジェンの行動が肯定されるのは、彼女が女としての武器で金も名誉も庇護もすべてを手に入れる事に、何の罪の意識もないからだ。あやまったら負けの国では、己を貫けば勝ちなのだ。

正義なんて、愛なんて、精神科医がいくらでも正当化する理屈を作ってくれる。
俺様正義の国万歳。

これが皮肉でなかったら、なんて寒い世界だろう。


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2007年12月 1日 (土)

昭和恋々

山本夏彦 、久世光彦 という”時代”に煩い二人が語るのだから、面白くないはずはない。消えてしまった空気は取り戻せないとしても、かつてあった痕跡を二人は丁寧に拾い上げていく作業をしていく。


何が真実であったかは、確かめるすべがない事柄も多い。だが真実を探求する事が、この本の目的ではないのだ。真実はどうであれ、その周囲の残り香を楽しむのが粋とする心情で、描かれていくのだ。


故人になってしまった人に「これは、どういうつもりで?」と聞く事は出来ない。その代わり、その場所へ行く事はまだ出来る。変わり果てた場所であっても、どこかに”時代”は残っているだろう。それを感じる気構えをこちらが所有しているのなら。




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2007年11月24日 (土)

古き良き東京を食べる

読者に知識を披露したいという、妙な必死さが表に出過ぎて、読みにくい時がある。貴方の知識ではなく、お店の情報が知りたいのだよと・・


「古き良き東京」とは何であるか、肝心な事は語られていない。


料理に関する記述より、自分がどのワインをその時に飲んだか、年号まで入れてご丁寧に書いてある。お里が知れるとは、こういう時に使う言葉なのかもしれない。





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2007年10月18日 (木)

新しいもの古いもの

池波正太郎の随筆である。


昔はあまり感じなかったが、今読んでみると男尊女卑も甚だしい箇所が気になる。それはこの時代の男性なら仕方ないかもしれないが。女を買う事に罪悪感はなく、そこに情緒のみを求め、そのような制度で苦しんだ女達の現実には目がいかない。


誰だって、好きでそんな事はしたくないのだ。


男がみる幻想と、女がみる”それ”はあまりにもかけ離れている。それでも今でも人気が高いのは、読みやすい語り口の上手さと、作家としての気取りが鼻につく事がないからだろう。


読んでいて・・行きたいなと思う食べ物屋があったが、これが書かれてから月日が大分経っている。当時と同じという事はないだろうなと、思い直した。



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2007年9月19日 (水)

横尾流現代美術

直感を信じて描く。

その重要性をいつも説く人であるが、何故あの画家は売れているか、何故こういう流行が生まれたかも意識しているのが、彼が今まで勝ち残って来た秘訣だろう。本当に好きなものばかり描いていたら、それは職業にはならないだろう。

今は自己プロデュースの時代だ。「意識してない」事を宣伝する事で「俺は他の奴等とは違うんだ」と差別化をしていく。「自分は芸術に凝り固まった人間ではないんだ」と言う事で他の画家と一緒にされる事を嫌う。

そこに不安が見え隠れする時がある。

それでも彼が神の啓示を信じている限り、彼は描き続け、そして作品は世に残されていく。ヒポクラテスが言った様に「人生は短く芸術は長い」のだ。彼の絵がどこまで残るのか、それを知る者はいないのだ、少なくとも現在に生を受けている人間の中には。





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2007年8月 9日 (木)

叶えられた祈り

破滅志向であると言う事は、それだけ生きる事への執着が強いのかも知れない。あまりの執着の強さに、後は自らそれを断ち切る事しか残されていない。カポーティの小説の中では、しばしばその様な人物を見出す事が出来る。


カポーティの遺作であり未完となった小説。


何故これを読みたいと思ったのだろうか。対等で無い友情、根拠のない特権意識、つぶされてしまった才能・・・運命に抗う気持ちはありながら、その方法を発見出来なかった事への絶望。その事から何を学ぼうと思ったのだろう。


人は誰でも思い通りには生きられない


裕福で人生に満ちたり、優雅で教養があると見えた人々の実像は、腐り切った果実であったと、外からやって来たカポーティは書いてしまった。だが人間は宗教の勧誘の文句の如く「深く豊かに生きる」事が最善なのだろうか。そもそも「深く豊か」である基準とは何であろうか。


マスコミで祭り上げられ、顔が売れても、それが「深く豊かな」人生とは限らない。あのテレビのコメンテーターと称する、文化人と称する人々を見よ、人よりも目立つ言葉を発し、画面の中で生き延びる事に必死ではないか。目立つ言葉が良い言葉とは限らない。


カポーティは、そんな罠に囚われていたらしい。


この小説(?)の中で叫んでいるのは、祈っているのは、カポーティだと誰もが思うであろう。そして願いは叶えられなかったと思うであろう。だが完結しなかった事で、可能性をカポーティは未来に残したのだ。この小説は傑作になったかもしれないという。


カポーティの祈りは叶えられたと、私は思う。



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2007年8月 2日 (木)

シャアへの鎮魂歌

シャア・アズナブルの声優・池田秀一氏の生い立ちとシャアを演じて来た自分を振り返る内容になっている。もちろんガンダム関連の声優やスタッフの話も出て来る。


今は当たり前になった録音から文字起こしして編纂した本だろう。この手の本は編集者の腕次第だが、残念ながらこの本はなんとなくまとまりがない。言いたい事は沢山あるのに伝わらないもどかしさを感じる・・何故だろう、もっと池田さん本人は熱く語っているのに、それが文字になっていない様な、そんな気がするのである。


それは私の妄想に過ぎない。けれどもどこかそういう思いが最後まで拭いきれないままに終わるのだ。池田さんという人が、芝居で演じる人物の言葉であれば自在に操れるが、自分の事に関しては上手く表現出来ない、或いは照れがありすぎる、基本的にシャイで不器用な愛すべき人である様な気がする。だから本を作る人にも伝わらないものがあったのか、それともそれを感じ取れない人だったのか。


業界関連の話は、生々しすぎて語れない事も多いだろう。実際ファンが知らなくても良い事も多いのだろう。音響監督が変わろうが、役者や監督が人として駄目な人であろうが、金の為に踏みにじられたものが多くあろうが。ひとつ言えるとすれば、その様な中で、役者として長年仕事を続けて来たという事は、それだけで凄いという事だ。


本の中でも出てくるが、代表作があり、それと知られた役者は少ないのだ。続かずにやめていく人が圧倒的に多いだろう。その中で生き残って来た自分を密かに誇らしく思い、自分の仕事にプライドを持ちながらも不安も覚えている、そんな揺れる心が垣間見える時もある。


良く出来た本ではない。


だが池田秀一という役者とシャア・アスナブルが長年抱えて来た想いを、少しでも知る事が出来たのはうれしい。


「まだだ、まだ終わらんよ!」


その言葉通り、池田秀一という役者は、まだまだ声を聴きたい役者である。この本を読み、あらためてそう思った。




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2007年7月26日 (木)

本が見つからない

本屋へ行ったのに、気に入った本が見つからない。


私の好みの文章が見当たらないのだ。「売れ筋」と称するものは悉くダメだった。淡々というより薄っぺらい、抑制と言うより冷淡、教養を感じさせるよりも自慢が鼻に付く、そんなものばかりなのだ。


さらさらと流れて来て心に染み入り、さりげない様で滋味がある、そんな文章が読みたいのに・・小説家よりいっそ他の専門家の方が読みやすい場合が多いのは何故だろう。それは「これで感心させてやろう」とか「どうだ、凄いだろう」という気負いが少ないからかもしれない。他の分野で成功した人は、別に文章で気張る必要もないのだ。


帰宅して池田満寿夫の本を本棚から引っ張り出して読んだ。この人の文章には色彩がある。細く鋭い輪郭がある。画家である本質が文章にも隠しようもなく表れてくる・・・少しほっとする。


こういう本がどうして見つからないのだろう。また探しに行こう。そう、また探しに。信じていれば夢はかなうらしいが、かなえる為の努力はしないといけないな。



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2007年6月26日 (火)

イギリスだより

旅行記というのは、その人の人生が色濃く反映される。
何故なら人生そのものが時の中を歩いて行く旅であるから。


この本の中で、チェコ人であるチャペックの目で観察されたイギリスの姿は、異文化と文明を考察する人々に汎用性のある含蓄を与えてくれる。この時代の欧州の文化の豊かさと欧州の中であっても多々の文化があった事も含めて。


私のプラハに対する認識は暗いイメージがあったのだが、チャペックはイギリスを憂鬱な場所として語っている。日本がいまだにサムライの国である様に、他の国の真実の姿を知る事は難しいのだ、今も昔も。



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2007年5月26日 (土)

久世塾

物を作るという事が生半可な事では出来ない厳しさが伝わって来る。


「私が、私が」という自己主張と、打たれ強さも必要だ。これは間違えば自己中心的な、自分も他人を省みない人間になってしまうという事でもある。事実そのような人間は沢山いるのだ。


鋭い洞察力も必要だろう。だがそれを口にして、他人を傷つけて良いという事にはならない。まあ、私には無縁な世界だ。



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2007年5月16日 (水)

虚栄(サニー・ランドル・シリーズ)

ロバート・B・パーカーの長いシリーズを読む楽しみのひとつは、主人公達の境遇の変化にある。女私立探偵サニー・ランドルは離婚しても前夫リッチーを諦めきれない。二人は寄りを戻すかと思いきや、次のシリーズではリッチーは再婚、今回はとうとう新しい妻が妊娠する。


もう二度と元に戻る事は出来ない。悲嘆にくれる彼女の前に現れるのは警察署長ジェッシィ・ストーン。彼もパーカーの人気シリーズの主人公である。彼も女優の妻と離婚、酒に溺れていく。上手く行きそうになり、元妻の浮気で駄目になる。

アメリカ人は良くカウンセラーにかかるらしい。ひとりで勝手にしゃべり、何だか難しい言葉で分析されると安心するらしい。恋愛をしても理屈で納得しないと安心出来ないらしい。愛は理屈じゃないと思う私には理解出来ないが、契約社会のアメリカでは曖昧な事は許されないらしい。

サニーのかかりつけの精神科医がスーザン・シルヴァマン。彼女もパーカーの人気シリーズの主人公スペンサーの恋人である。他にもスペンサーシリーズで御馴染みのクワーク警部達も顔を見せる。他シリーズの端役が登場する事は珍しくない。今回は主役同士の顔合わせである。

「夢の競演が実現!」と本の帯に書いてある。
帯を取った方が素敵な表紙の帯にだ。

何となく二人は上手くいきそうな気配で終わる。だが、次のシリーズでは別れているかもしれない。それがパーカーのシリーズの困ったところでもある。まあ、主人公の人生の出来事のすべてを書いていたら、本を何冊出版しても足りないだろうが。

事件は殺人、ミステリアスではあるが、最後は人情で終わる。事件の行方よりも、サニーとジェッシィの成り行きが気になって仕方ない。最も私は「そのつもりで足の毛を剃って来たのか」と聞く男は嫌だな。気がついても黙っていてくれる人が良いな。それでなくとも女は見えない苦労を沢山するのだから・・・貴方と顔を合わせる前に。