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2008年5月

タイタニックとSOS

今日は1911年にタイタニックが進水した日だそうだ。

タイタニックと言えば、遭難信号であるSOSを初めて発信したと言われているが、実はそうではないらしい。SOSといっても、モールス信号が公の場から姿を消して約十年、死語となりつつあるが。

CWの免許を持っている。アマチュアだが。
だから「SOS」が「・・・---・・・」である事位は判る。

ヘッドフォンをつけると、沢山の音が行きかう。それが言葉であると理解した瞬間、空間にあふれる思いを感じる。そんな感傷が好きだった。周波数をずらしていくと、音は歪み、消えていく。そして又、鮮明な音が飛び込んで来る。弱い音、強い音。音だけの世界でありながら、そこには距離も時間もある。大地も海もある。

沈みかけたタイタニック号から発信された遭難モールス信号を再現したものを聞く事が出来る。

SOS SOS SOS DE MGY CQD REQUIRE ASSISTANCE POSITION 41.46N 50.14W STRUCK ICEBERG TITANIC
(訳文:遭難した。こちらタイタニック。救助を頼む。位置は北緯41.46西経50.14 氷山に衝突した。タイタニック)

電鍵は縦ぶれであったろうなと・・・私もあえて縦ぶれを使っていたのは、その方が「モールス信号を打っている」事が実感出来たからだ。だからエレキーは好きではなかった。

耳をすませば、二種類の音が、遠い悲劇を今も叫び続けているような。これを打ち続けた通信士はどうなったのかと、思わずにはいられない。

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過去は忘れたい

出かけようとしたら雨になった。紅茶の缶を取ろうとしたら、中身を床にぶちまけた。これは贖罪だ。或いは厄落としかも知れない。ここ数日の鬱屈した思いの。


いつだって、悔恨と羞恥の中にいる。


久しぶりに「the WORLD Ruler」を聴いている。この頃の彼らには甘い期待と夢をまとわりつかせた反抗があった。今はすっかり牙を抜かれてしまった様だ。ここまで響く音がない。叫びの中に、小さな棘の様に心の隅に引っかかってどうしようもなかった何かがない。


何者であるかを考えている。何者でもない自分だと知りながら。知っているのだ、どこにでもいる人間である自分を。ありふれた出来事に埋もれ、TVと馬鹿げた雑誌とマンガに笑い、愚痴を言いながら「悪くなかった」と思いながら死んでいく人生だ。葬式には、めったに顔を合わせない親類が数人位来るだろう。


おじさんの定年後の自伝に面白いものはない。他人にはどうでも良い事しかないからだ。有名人の自伝も、粉飾を取り除けばおそらくは大差はないだろう。人間一人の出来る事はあまりにも少ない。「誰もが同じ様に大切だ」と繰り返しアニメになるのは、それを信じたいと思う人がとても多いからだ。下っ端の敵を散々殺しておきながら「誰でも同じ様に大切だ」と主人公は言う。殺された下っ端たちの事は忘れている。


今、私が死んだ所で、本当に困る人はいない。


その事実と向き合うのは恐ろしすぎる。「自分には価値がある」と思いたいのが、人類の大半なのだ。「キミがいないと困るよ」と職場で言われても、退職してみればすんなりと後釜が現れ、何事もなく会社は動くのだ。


まあ、世界は動いていくのだ。
(何も知らぬふりをして、私も生きて行くのだ)


ぶちまけた紅茶の缶を拾う。残り少ない缶の中身。全部さらいだして、薄い味の紅茶を入れる。こういう時には、こんな味でいい。上手くいれた紅茶は似合わない。




さあ・・・どこまで自分を誤魔化せるかな。
(もう、誤魔化しているじゃないか、完璧。厭らしい位に)







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怖ろしい味

過去はいつでも美化される。思い出はいつでも美しい。
味もおそらく美味になる。

記憶の曖昧さは人に与えられた恩恵である。


作者がかつて未婚の母と言われた女性と夫婦であった時、妻であった人は「自分達こそ運命のカップル」と各所で書きまくっていた。いかに二人は教養があり洗練され、味がわかる人間であるかと。自己アピールがすべての世界では、どんな虚飾でも必要な時があるだろう。過去の虚飾は知らぬ存ぜぬで通したい場合、忘却は最大の味方となる。料理もそうだろう。失われた食材、職人、名店・・・・だが毎日フォアグラとトリュフとペトリュスで暮らしたいと思う日本人はいるのだろうか。


本当の贅沢は、贅沢をそれと思わない事だ。


ブランド名を並べ立てても、それを心から楽しんでいるかどうか、伝わって来ないのなら、そんな文章を読むよりもカタログを眺める方がましというものだ。有名人と知り合いなのを自慢したい気持ちで鼻がピクピクしているのが、読み手に透けて見えてしまった瞬間に、一切の虚飾は崩れ去るのだ。


ゆとり、余裕・・・・


それらが行間に感じられるなら、この本は面白いと思う。





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神の雫(16)

埋もれていたワインを分類する作業を終えた兄弟。二人の真実を知る者たちは、複雑な思いで二人を見守る。そして「第五の使徒」対決は、とある別荘へと舞台を移して開始される。


その場所には、遠峰一青の過去が隠されているらしい・・・


ワインへの情熱は本物ながら、勝利の為には手段を選ばない遠峰は、雫を支える雅へとゆさぶりをかけ始める。ローランの愛も己の野心の為に利用する。そこまでして彼が得たいものは何なのか、それが追々明らかになるのだろうか。


使徒がらみで”山”をテーマにしたワインの話になる。死んだ男が、幼馴染に飲ませたかったワインとは何か。その命題を解いた後、マッターホーンを思わせるワインに雫はたどり着くことが出来るのであろうか。


寿司と合うワインはあるかも知れないが、相性の良い日本酒があるなら、その方が欲しいと思った私は、ワインへの愛が薄いのだろうか。そうそう日本人である事をやめられないだけかも知れない。





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多重人格探偵サイコ(12)

ルーシー・モノストーンの伝説から始まった物語は最終章を迎える。日本という国が壮大なる実験場であるという現実をここで明らかにしてくる。


長い、あまりにも長い時間を経て、忘却の彼方へ行ってしまった記憶を取り出そうとするのは大変だ。この本を読みながら、悪い夢を見そうな気分になる。線とモノトーンを強調した絵は、麻薬である。


雨宮一彦とは誰であったか・・・・


散逸してしまった資料を探し回るかの如く、読者が目まぐるしく自分の過去を彷徨わねばならない。キミは覚えているか?この第一巻には何が描かれていたかを?何も見ずに、本棚を振り返らずに、それを頭の中に再現する事は可能か?


人間とは、かくも不確かな存在なのである。


伊園若女は雨宮一彦を再生する事が出来るのか?”天使”は真の姿を見出す事が出来るのか?日本人は兵士となり戦場で死ぬ為に改造されていくのか?


後味の良い幕切れには、なりそうにない。





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真・カルラ舞う!(5)

何でも三角形である。地図の上に線を引いて結んでみれば良い。そこに結界が現れる。一時期流行した方法である。どこにでも結界はあるらしい。


そしてスサノオ。天照大神を崇める国においては、これが悪の力の根源となるらしい。滅ぼされた古きもの達の怨念として。真になってからのカルラはずっとスサノオだ。作者がとりつかれたかの如くに。


霊能力者や妖怪ブームへの皮肉も描かれている。妖怪関係は、それで儲けようとする人々の方が百鬼夜行か魑魅魍魎となって久しいが、作者は彼らに迷惑でもかけられたのであろうか。


敬うという心を持つのは大切だと思う。
それを無くした時に、神は悪霊に変わる。


それにしても、絵がどんどん劣化していくのが寂しい気がする。





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HP更新のお知らせ

Banas01a_2

小説:金銀花は夜に咲く(35)「汚名の神曲」
詩篇:「手の甲に唇を」「足の痛む靴のように」「遊撃手」「世界は砂糖菓子のように」

掲載場所移転後、私事多忙の為にスローペースになっております。
あせらずに、続けて行きたいと思っております。


今後ともよろしくお願い致します。



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池波正太郎の食まんだら

どの分野でも、大家が死ぬと「私が先生と一番親しかった」と言い争うのは、良くある事らしい。特に死後これだけ経っても忘れられぬ人であれば。死人に口なしであるから、どうとでも言える。


池波氏の書生だった称する人が、生前に氏が愛した店について書いている。他の本でこの作者について「今更どのツラ下げて」的に書かれていたが、その真偽はともかく、品性のなさや小者ぶりが鼻につく。師匠であった人への真の尊敬もなければ、店に対する敬意も薄い。呵々などとわざとらしく書く所にも、卑屈な性根が見え透いてしまう。食について一家言あるらしいが、的外れではないかと感じられるうそ臭さが漂う。


何故だろう。


単なるガイドブックとしてなら、役に立つかも知れないが、池波氏の本を引っ張り出して読み返した方が、ずっと後味の良い時を過ごせる。氏の本の真の面白さは、店の紹介にあるのではなく、店を通して様々な人生や世の中の醍醐味を語っている所にあるのだから。





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ダブルプレー

ハードボイルドとは、自分のルールで生きる男達の事だという。現代は彼らには行き難い世の中になってしまったようだ。この小説の舞台は1947年のアメリカ。そこには戦争の傷跡は深くても、彼らの生きる場所がまだ残されていた。


戦地から戻ったバークを待っていたのは、妻が男と逃げ出した後の空っぽの部屋だった。身体にも心にも深い傷を負った男は、街に出る。彼のありついた仕事は黒人大リーガー・ジャッキーのボティガード。バークの戦いが再び始まる。


バークとジャッキーの間には奇妙な友情が芽生える。ロバート・B・パーカーお得意のハードボイルドの世界。筋書きはいたって単純だが、現代物よりも生き生きと男達が描かれているのは、やはり時代のせいだろうか。


戦争と離婚で感情を捨ててしまった男が、再びそれを取り戻すまでの物語でもある。


ヴァット69を飲みたくなる。69番目の樽の話が伝説に過ぎないかどうか、私は知らないが、バークならそんな事は気にしないに違いない。


近年の彼の小説の中では、一番気に入った。





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馴染めない場所

何となく落ち着かない。


小説の掲載場所が変わったというのもあるが、どうも精神的に落ち着かないと言葉が続かない。そういう時期がたまに来る。手が動かないとキーも打ちにくい(今もミスタイプばかりしている)。それは疲れているという事だ。


何に?生きる事に?


生きがいという奴かもしれない。人生もここまで来れば、成功か不成功か見えて来る。私の人生は敗残者だと思う。才能もなく努力する根性もなく子孫もなく、そして残されたのは老いていく両親と障害者の家族の介護しかない。私自身の為に生きる事は出来ないと決定された人生の何が面白い?


そして、更にその先には老残の日々がある。
懐かしむ栄光も思い出もなく。


たいていの人生は、それ程面白くないのだと、周囲を見て思う事もあるが、考える事を麻痺させてしまうなら、何も考えずにすむなら、TVのやらせで笑いながら人生は終わってしまえるのだ。


それでも人は考える時もある。


だから、こんな場所があり、こんなつぶやきが形のないこの世界の中で無尽蔵に増えてゆくのだ。今もこうしてひとつ、捨てられていくつぶやきが聴こえる。それは私自身の中で、捨てられて消えていくのに、消えたくないと空しいあがきを繰り返している。



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黒のトリビア

知らなくても良いが知ってたら役に立つ事がある・・かどうかは微妙な事柄が多い。


ミステリーや2時間ドラマが好きな人なら、良いかも知れない。
ドラマのリアル度の検証が出来る。


殺人、犯罪、裁判に関する内容の信憑性はともかく、暇つぶしの一読には良い本だった。


それだけかと言われれば、それだけの本である。
文庫本でなければ購入しなかった。作る方の狙いもそこだろう。





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ジャン・ルノワールエッセイ集成

香港のザ・ペニンシュラのロビーだった。
私は午後のお茶を待ちながら、行き交う人々を眺めていた。


香港人の女性に近寄り、笑顔ですっと肩を抱いた白人の男性がいた。待ち合わせらしい。肩を抱いた仕草のさりげなさに、この人はフランス人だろうと思った。聞こえて来た会話は、やはり francais だった。


印象派の大家を父に持つ映画監督は、エッセイの中でこんなエピソードを披露している。ハリウッドで活躍していた有能な撮影技師がフランスで戻って来た理由は「女性の相手をした時のアングロ=サクソン人の態度は”まっとうじゃない”から」。それを「立派な理由だ」とうれしげに書くジャン・ルノワールもまさにフランス人なのだ。


彼らにとって、女性は単なる性欲の捌け口ではなく、人生の喜びの一部なのだ。それは女性にとっても幸せな事だと思う。甘い言葉も態度も現実にはお目にかかる事が稀な日本人の私は特にそう思う。


彼の映画にあふれる光の正体は、きっとそんな所にある。
人への愛がある。生きる事への賛美がある。


仕事としてシニカルに語られる映画に関してだが、そこには謙遜を感じる。そして言葉で言わずとも「スクリーンで充分語っているじゃないか」という自負も感じられるのだ。偉大な父の影に隠れる事無く、彼自身も映画史に光り輝く存在なのだと、あらためて感じ入った本だった。





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破壊する音・修復する音

気持ちが苛立つ時はロックを聴きたくなる


繊細とは程遠い音の洪水の中で
溺れていくままに自分を泳がせておきたくなる


理屈も流行も無関係に
ただ強烈な音と刺激的な音だけを欲しているのだ


そして苛立ちが破壊され尽くすと
ささくれ立った心の修復が始まる




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フランス・ロマネスクへの旅

病の床にある時は、神が近づく気がする。現金なものである。
そういう時にはこんな本を広げてみるのだ。


「苦しい時の神頼み」は全世界の共通の感情で、この建造物達にこめられた祈りは、どれもそこから発生する。だが祈りは進化する。より敬虔な方向へ、或いは世俗的な栄誉へと。


金と権力と仲良くなければ、こんな壮大な聖堂は生まれないのである。


それでもそこに純粋な信仰がなかったかといえば、そうではないと思う。宗教は悪魔に乗っ取られて利用される事が多いが、神を信じるという真摯な思いを持ち続ける人々もいるのだ。


私は宗教は信じないが、信仰は否定しない。
それは狂信や盲信とは別物であるから。


そして芸術というのもまた、神の与えた恩恵である事は、ここに紹介された建造物が物語っている。人がどんなに汚れた欲望で始めた事でも、本人も知らずのうちに神が浄化へと導く事もあるのだと。





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シバの女王と珈琲を

スターバックスで「ムアン ジャイ ブレンド」を買った。
ピンクと臙脂のパッケージが可愛い。


「ムアン ジャイ」とは、タイ北部に住む山岳民族の言葉で「心からの幸せ」という意味だそうだ。タイの豆にインドネシア、パプアニューギアイの豆をブレンドしたもの。同じインドネシア産の豆を使った「コモド ドラゴン ブレンド」が気に入っている私には、これも気に入りそうだ。


珈琲の発祥はエチオピアだと言う。最近は南米より、アフリカや中近東の豆を買う時が多い。その方が珈琲の原初の味に近い気がするからだ。あくまでも気分の問題だが。そうして、シバの女王とソロモン王の物語などに、思いをはせているのである。


ひとつ、思い出した・・・


たまに「お好きでしょう」と、どこかの特売で買ったらしき珈琲をくれる人がいる。安いか高いかという問題ではない。出来る範囲で、日常を好きなものに囲まれて暮らしたいと願っている私には困る場合が多い。漫画が好きだからといって「To LOVE る」を全巻もらっても、私はうれしくないのだ(笑)

こういう贈り物をする人は、えてして一面的にしか物を見ない人が多い。カーマニアに「どの車だって同じでしょ」と平気な顔で言える、それが相手の存在意義を傷つけると理解出来ない人達である。


別にこだわるのが人生のすべてはないけれど、せっかくこの世界には様々なものを神様が用意してくれたのだから、それを探求する事は、生きる喜びのうちに入ると思っている。


ソロモン王が、多くを知る事を推奨していたように。



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焼夷弾が・・・

北村和夫追善公演「朗読劇・女の一生」を観た。


昨年亡くなった北村氏は文学座の代表的な俳優であり、故・杉村春子主演「女の一生」の栄二役を持ち役としていたのは有名だが、今回の公演は文学座のものではなく、北村氏の主宰していた勉強会”北村塾”の手になるものだった。


両国のシアターX(カイ)は、最大300席のこじんまりした劇場で、生身の人間のすなる劇を観るには丁度良い感じの良い空間であった。朗読劇というだけに、最低限の舞台装置と後は演ずる個人の技量にかかってくる。生半な役者ではつまらなくなる。

舞台の上には、正方形の箱が幾つかあるだけ。
それが椅子にもなり、積み上げて石灯籠にもなる。


主演の淡島千景、白石奈緒美以下、ベテランが多く良い舞台になっていた。文学座関係の俳優も多いので、明晰なセリフと戦前の日本の良き言葉の響きが心地良かった。堤家の屋敷の室内、少し薄暗い廊下、金糸の褪せた布張りの肘掛に詰め物をした安楽椅子、独逸製のピアノ、チューリップを逆さにしたような硝子の傘の灯、西洋料理の匂い・・・そんなものが、ないのにあるような気がしていた。(それは私の記憶の中の産物であるのだろうが)


観客の年齢層は高かった。往年の「女の一生」の舞台を何度も観たという人も多かった様だ。白髪をきっちりと結い上げ、着物を見事に着こなした(普段から着ていないとああは身に付かない)老婦人が、身内に恭しく手を引かれて来たり、人品骨柄卑しからぬといった風の紳士淑女、きっと末期に月夜でカドリールを踊る粋を解るであろう人々が多かった。


舞台が始まった途端、アクシデントは起きた。後方の席が騒がしくなった。一人の老人が脳溢血か何かで倒れたらしく、係員が駆けつけ、運ばれていった。昭和二十年三月、あの戦争の末期に、空襲警報で何度も中断されながらも最後までやり遂げたという、伝説の初演を彷彿とさせる出来事であった。


勿論、騒ぎの最中も舞台は続いていた。


そして・・・第五幕、戦争の激しさの中、夫の伸太郎がけいの手を握って事切れる場面、空襲警報と空爆の音声が流された時、再びアクシデントは起きた。


突然、先程見かけた老婦人が「焼夷弾が・・」と叫んだ。それから何やら話し始め、傍らの人になだめられていた。空爆の音が、老婦人の記憶をいたく刺激したのだろう。その場所には、様々な「女の一生」が繰り広げられていた。誰もが”けい”の一部を身の内に持ち合わせていた。そういう人々であるからこそ、いっそうこの名作に涙誘われたのだと思う(それは安手のお涙頂戴の涙ではない)。


やはり、舞台を観るのは面白い。
そして人生という舞台に、もう少し居ても良いと思うのは、こういう時なのだ。



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