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2008年4月

2008年4月25日 (金)

結界師(20)

正守兄さんと扇一郎の決戦。
そして裏会の闇が結界師と墨村家に忍び寄る。


最近の漫画は主人公不在の方が面白いという、構成からして間違えている作品が多いが、この漫画はいくら正守が中心の話となっても、その根底には「結界師と墨村家」「正統後継者」というテーマがある為、良守が主人公である事が揺るがない。そこが上手い。六郎に正守が抱く思いにも、良守との複雑な関係が見え隠れする。


「くずれそうになる・・」という正守の言葉。


その一言で、追い詰められた正守と周囲の状況を表しているのも素晴らしい。良守は昔思っていた程、兄が万能でない事を知っている。彼なりに家族の為に変わろうとするのである。


しかし扇一族との争いの中で、近づいたかに見えた兄弟の心は、再び離れて行かねばならなくなる。奥久尼との密約で、正守は心を鬼にして、良守を利用せねばならなくなる。すべてを守る為に・・・


連載では災禍は墨村家だけでなく雪村家にも及んでいる。結界師全員が危機的な状況の中で、良守はどう変わっていくのか。それもこれからの興味ある所である。





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2008年4月19日 (土)

二十億光年の孤独

谷川俊太郎の詩に出会ったのは歌が先だったと思う。
或る歌に彼の詩が使われていたのだ。


詩には二種類あると思う。
心で読みながら一人静かに感じ入るものと
声に出して読むと更に心の底まで染み入るものがある。


谷川俊太郎の詩は、後者だと思う。


はっきりとした母音が心地よく、難しい言葉を羅列するのではなく
どこにでもある言葉を拾い集めて丁寧に並べてある。


柔らかく、そして鋭い。


この本には「私はこのように詩をつくる」も掲載されている。これは創造はつまる所理屈ではないという、小説家も画家も詩人も含めて(おそらく神も)常に抱えている思いが、そこに書かれているのだ。もし理屈や法則だけで名作が生まれるなら、今の世の中ならそんなソフトが出回っているだろう。


初音ミクだって、使う人がいてこそだ。


自筆ノートの写真や巻末から読むと英訳も楽しめる。対訳の詩集を読むといつも思うのだが、言葉の響きをそのまま他国語を使う者に伝えるのは難しいが、詩の持つ魂の響きを伝えるのは可能だと思う。訳者が詩人の心を持つのであれば。





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Bastard!!(25)

ダークシュナイダーとウリエルの戦いは続いている。


人間の感覚しかない私には、すでに理解不可能な世界が続いている。
天使も悪魔も見守る中、神だけが不在の様である。


その点に関しては、どの世界も同じらしい・・・


この漫画も始まって二十年経つそうである。
このまま無限の彼方まで続くであろうか。


そういえば、オンラインゲームはどうなったのだろう。
あの戦いの開始も順延続きである。


こちらについても、神の感覚で待たねばならないのだろうか。





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2008年4月16日 (水)

移転に思う

小説連載用のブログを楽天からココログに移転して、一月足らずになる。

すっきりとした画面を見て、移転して良かったとしみじみと思う。

テンプレートのデザインの良さもあるが、内容のイメージを損なうおぞましい広告が表示されないのがうれしい。フリーではココログでも広告が表示されるが、執拗に包○だの借金だの不愉快な写真までご丁寧につけて表示される事はない。それだけでも創作意欲もよみがえるというものである。迷惑TBやコメントをさもブロックした様に宣伝していたが、自分たちで、女性には恥辱を与え、子供に有害な広告を増やし続けていた会社であった。

廃刊寸前の雑誌は風俗や妙な広告が増えるという。

そういう事なのだろうか・・・



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2008年4月12日 (土)

林檎パイは一瞬の時を生きる

遅い朝食の為に、駅前までパンを買いに行った。


珈琲メーカーを仕掛けてから出かける。
インドネシアから来た豆が湯気の中で香る。


晴天なので帽子をかぶる。
生成りに極々細いパステルカラーの線が幾本か走っている。
明るい空に似合いの帽子。


駅前はいつも人が多く、誰もいない時間を見た事がない。
今日も老若男女が、それぞれの人生をのんびりと、或いは足早に歩いている。


パンの焼ける香ばしさの中で、艶々の小麦色のパンが並んでいる。


クロワッサンが焼きたてだった。
林檎パイが焼きたてだった。
喜んでそれを買う。


帰宅すると珈琲の出来上がりを告げる音がする。


寝ている家族は起さない。
私は自分のマグカップに珈琲を注ぐ。


サクサクと歯にあたり、ほろほろと崩れる、まだ温かい林檎パイを先にいただく。
何故なら時は残酷で、すぐにこのサクサク感は消えてしまうので。

時間を経て妙にしっとりした林檎パイを食べて「美味しくない」と言うのは
林檎パイには気の毒な話だ。彼女は瞬間の美味にかける芸術家なのだから。


家族が起きて来る。ミルクを沸かす。
マグカップに珈琲を入れ、ミルクと砂糖を入れる。


林檎パイは、とっくの昔に消え失せている。


私の過去の時間の中に
サクサクと歯に心地良かった思い出となって。



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2008年4月10日 (木)

半神(自選短編作品集)

私は表現方法として多くのものを愛しているので、それらがクロスオーバーしてもちっともかまわない。むしろ多種の混合の中に、面白いものがあれば、悪食と承知しても味わう。もちろん、良質の素材であれば、それは天上の美味になる。


漫画という手法の中に、舞台劇がある。


この作品が舞台化されたのは、その匂いを敏感に嗅ぎ取った才能があったからだろう。たとえ原作とは似ても似つかぬ仕上がりになったとしても、根本のエッセンスは失われずにいた事に拍手したい。


人間は変わりゆくもので、この本の中と同じ話は二度と描けず、同じ絵は描けないと作者が知った上で、愛する過去の時間を拾い集めている。選出に納得出来る作品もあればそうでない作品もあるが、諸々の事情はともかく、ここに再び懐かしい作品の巡り合えたのはうれしい。


今の漫画はキャラの立ち位置もわからず、何が起きているか不明でも、まったく問題にならないらしい。とりあえず萌えがありさえすれば。本を開いただけで、コマ割にも流れがあり、読みやすいネームの位置が、それだけで美しいと感じる漫画を読む事が出来るのはうれしい。


そして余韻のある作品を・・・


その余韻は、私の子供の頃から今日まで鳴り止まぬままに、私の中でかすかに響いているのである。





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残された光

雑居ビルの地下に狭いギャラリーがある。剥き出しのパイプをわざを見せ付ける天井や乱暴に塗り直した壁をそのままにして、煌びやかな背徳の匂いを漂わせた人形や絵が飾ってある。


そこで一人の漫画家のイラストを観た。今はツールさえあれば誰でもそれなりに描けるが、肉筆である絵には誤魔化しは通用しない。その人も持つ物だけが明瞭に印されている。誰もが同じでしかありえない中で、オリジナルの貴重さを知る瞬間・・・


萩尾望都という漫画家と呼ぶよりも一人の創作者。


私の原点を振り返ると、彼女もその一人。萩尾望都と福永武彦が私の根底にいる。「忘却の河」を再読して、あらためて感じた。福永武彦の息子や孫も著名人だが、彼等の中には何ら感じるものはない。


血縁が何の保障にもならない事を、私は身をもって知っている。醜い親族の争いの中で、私は彼等と同じ血を憎んで来たので。そして私の敬愛する人物の血を引く人の恥すべき行為も見たので。


人一人の持つ輝きは、その人だけのもので、死をもって終焉を迎えるが、残された輝きは未来に残る時がある。私は小説を読みながら、そう思い、残すべき光の欠片すら持たぬ身を哀れむ。



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2008年4月 8日 (火)

忘却の河

若くしてこの世を去った俳優の墓へ行った事がある。

墓石は海を臨む高台にあり、街中から離れてはいないはずなのに、聞こえるのは潮騒だけであった。まだ瑞々しい花びらを持つ花が供えられ、彼を惜しむ人が今もいる事を示していた。


私の生まれる何年も前に死んだその俳優に、特別な思い入れがあったわけではない。そこへ行ったのは、友人に誘われたからであった。友人の母が好きだった俳優であった。友人は母を亡くしたばかりであった。


人は「何故自分は生きているのか、生きる事に価値はあるのか」と、考える時間をあまり持たない様に、忙しく生き、慌しく時を過ごしている。死んだ後に自分が残せるものはあるのかなどと、思わない様に生きている。あえて・・・


著名有名な人々も、後世に名をや功績が残る人などほんの一握りに過ぎない。ましてや我々の様な塵や芥の如き存在は消えてゆくのみである。


それでも、時に立ち止まり
過去に思いを馳せたい時がある。
この小説の主人公の様に。


それが空しいだけの行為などと、誰にも言う事は出来ない。残された未来を生きる為に、それは糧となる時もあるのだから。たとえすべてが、死の後に消えてしまうと知ってはいても。




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2008年4月 6日 (日)

幼年期の終わり

アーサー・C・クラーク(アーサー・チャールズ・クラークだが、私はあえてこう書きたい)の訃報を知った時、彼は次の段階へ移行したに過ぎないのだと思った。それはSFという分野の無機質で硬質な世界の中で、彼の精神は柔らかく、いつも遥か遠くを見ている様な気がしていたからだ。


精神世界という身の毛のよだつ言葉が流行った頃、「幼年期の終わり」の結末は、来るべき人類の進化の有様を見事に描いたともてはやされたものだ。古代の神々の記録や宇宙からのメッセージや瞑想の中で、それと同じ未来の啓示を受けたらしき人々が多かったらしい。


ユングの集合的無意識という言葉は、その手の人々に都合良く使われ過ぎたきらいはあるが、もしも小説のような事態になるとすれば、個人の幸福という概念は消え去り、小さな人形達が機械仕掛けで歌う「世界はひとつ」のみが、人類の勝利の凱歌となるのだろう。


「2001年宇宙の旅」がキューブリックの手でセンセ-ショナルな映画となったばかりに、作者としてはいらぬ苦労もしたらしい。当時の顛末を書いた暴露本(通常そう呼ばれる物よりは遥かに知的で上品な)を読むと、クラークが夢想家ではなく、英国人らしい合理主義とユーモアを持ち合わせていたのが感じられる。


その理性あってこその未来絵図は、電波的言動とは無縁の、精神の背筋を伸ばして読むべきものなのである。




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2008年4月 5日 (土)

その甘さが愛しくて

休日の朝は静謐の中にある。


窓の向こうの、いつもなら思いつめたような顔でせかせかと歩く人々が群れなす駅に向かう道にも、人通りは少なく、たまに通る人々もどこかのんびりとしている。そんな朝に珈琲を入れた。


どこか緩い朝、マグカップの中の暗く温かい液体の香りもゆっくりと広がる。立ち上る湯気に逆行するようにコンデンスミルクをたらしてみた。白く淡く濁っていく暗い闇。いつもならコーヒーには何も入れない。すっきりとした苦さが平日の朝には相応しいから。


今日は休日、どこか緩い朝。きりりとした飲み物より優しい方が良い。


ベトナム料理の店で、最初にこんなものを飲んだ。エスニックと呼ばれる類の東南アジア風の店で、他にもこんな風な飲み方をさせる時がある。空想の中で、ここよりも暑いそして空気の密度が濃い国々。


そうだ、確かにあの空の下には、こんな甘さが愛しくなるだろう。
曖昧な黒と白に濁った温い液体と、ほろ苦さを隠した甘さが。



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2008年4月 1日 (火)

牧神の午後

山岸涼子の「牧神の午後」「黒鳥ブラックスワン」にバレエ関連のエッセイやレポートを一冊にした物。どれも既読のものばかりだが、こうして読み返すと新たに思う事も多い。


表現をするという事は、精神の求める事をこの世界に具現化する事であるが、どんな分野においても、大抵の場合、精神の求めを肉体は完璧に実現する事は出来ない。そのジレンマがいつも表現者には付きまとう。


稀に精神と肉体がまったく同一であるかの如く、思うままに表現を成し遂げる事が可能な者がいる。ニジンスキーはおそらく、そういう人物だったのであろう。霊感というものを、常人が呼吸をするのと同じ様に当たり前にその身に受け取る者に、周囲の理解が及ばないのも又当然であり、選ばれてある者の悲劇である。


そのニジンスキーの姿を、冷静に描く作者の目は、澄んでいるが冷たくはない。


山岸涼子の描くバレエの世界は芸術だ。バレエというものがこんなにも激しく美しく緊迫した一瞬の世界であると、良く解る。「アラベスク」はすでに古典だが、この名作を剽窃した漫画が大きな顔をしてバレエ漫画の代表と呼ばれているのは、片腹痛い。あの作者の厚顔ぶりと無神経ぶりもまた常人ではないのであろう。


ニジンスキーの僅かに残された姿。伝説は伝説を呼ぶが、彼の舞台を誰も観る事は出来ず、彼のいた舞台という時空であの時何が起きたのか、私たちは永遠に知る事は出来ないのだ。


もしもタイムマシンがあるのなら、あの「牧神の午後」の舞台の上演された時間へ行ってみたい。


狂気の中で、最期の飛翔をした姿と言われる写真。
海外のTV番組であの写真を観た事がある。

あの一瞬だけ、彼が正気に戻っていたと言われたら、私は信じると思う。





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