素顔のままで

「貴方の仮面を身に着けて」のmenesiaの日記
日常のつぶやきや読書の記録など・・・

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馴染めない場所

何となく落ち着かない。


小説の掲載場所が変わったというのもあるが、どうも精神的に落ち着かないと言葉が続かない。そういう時期がたまに来る。手が動かないとキーも打ちにくい(今もミスタイプばかりしている)。それは疲れているという事だ。


何に?生きる事に?


生きがいという奴かもしれない。人生もここまで来れば、成功か不成功か見えて来る。私の人生は敗残者だと思う。才能もなく努力する根性もなく子孫もなく、そして残されたのは老いていく両親と障害者の家族の介護しかない。私自身の為に生きる事は出来ないと決定された人生の何が面白い?


そして、更にその先には老残の日々がある。
懐かしむ栄光も思い出もなく。


たいていの人生は、それ程面白くないのだと、周囲を見て思う事もあるが、考える事を麻痺させてしまうなら、何も考えずにすむなら、TVのやらせで笑いながら人生は終わってしまえるのだ。


それでも人は考える時もある。


だから、こんな場所があり、こんなつぶやきが形のないこの世界の中で無尽蔵に増えてゆくのだ。今もこうしてひとつ、捨てられていくつぶやきが聴こえる。それは私自身の中で、捨てられて消えていくのに、消えたくないと空しいあがきを繰り返している。



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黒のトリビア

知らなくても良いが知ってたら役に立つ事がある・・かどうかは微妙な事柄が多い。


ミステリーや2時間ドラマが好きな人なら、良いかも知れない。
ドラマのリアル度の検証が出来る。


殺人、犯罪、裁判に関する内容の信憑性はともかく、暇つぶしの一読には良い本だった。


それだけかと言われれば、それだけの本である。
文庫本でなければ購入しなかった。作る方の狙いもそこだろう。





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ジャン・ルノワールエッセイ集成

香港のザ・ペニンシュラのロビーだった。
私は午後のお茶を待ちながら、行き交う人々を眺めていた。


香港人の女性に近寄り、笑顔ですっと肩を抱いた白人の男性がいた。待ち合わせらしい。肩を抱いた仕草のさりげなさに、この人はフランス人だろうと思った。聞こえて来た会話は、やはり francais だった。


印象派の大家を父に持つ映画監督は、エッセイの中でこんなエピソードを披露している。ハリウッドで活躍していた有能な撮影技師がフランスで戻って来た理由は「女性の相手をした時のアングロ=サクソン人の態度は”まっとうじゃない”から」。それを「立派な理由だ」とうれしげに書くジャン・ルノワールもまさにフランス人なのだ。


彼らにとって、女性は単なる性欲の捌け口ではなく、人生の喜びの一部なのだ。それは女性にとっても幸せな事だと思う。甘い言葉も態度も現実にはお目にかかる事が稀な日本人の私は特にそう思う。


彼の映画にあふれる光の正体は、きっとそんな所にある。
人への愛がある。生きる事への賛美がある。


仕事としてシニカルに語られる映画に関してだが、そこには謙遜を感じる。そして言葉で言わずとも「スクリーンで充分語っているじゃないか」という自負も感じられるのだ。偉大な父の影に隠れる事無く、彼自身も映画史に光り輝く存在なのだと、あらためて感じ入った本だった。





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破壊する音・修復する音

気持ちが苛立つ時はロックを聴きたくなる


繊細とは程遠い音の洪水の中で
溺れていくままに自分を泳がせておきたくなる


理屈も流行も無関係に
ただ強烈な音と刺激的な音だけを欲しているのだ


そして苛立ちが破壊され尽くすと
ささくれ立った心の修復が始まる




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フランス・ロマネスクへの旅

病の床にある時は、神が近づく気がする。現金なものである。
そういう時にはこんな本を広げてみるのだ。


「苦しい時の神頼み」は全世界の共通の感情で、この建造物達にこめられた祈りは、どれもそこから発生する。だが祈りは進化する。より敬虔な方向へ、或いは世俗的な栄誉へと。


金と権力と仲良くなければ、こんな壮大な聖堂は生まれないのである。


それでもそこに純粋な信仰がなかったかといえば、そうではないと思う。宗教は悪魔に乗っ取られて利用される事が多いが、神を信じるという真摯な思いを持ち続ける人々もいるのだ。


私は宗教は信じないが、信仰は否定しない。
それは狂信や盲信とは別物であるから。


そして芸術というのもまた、神の与えた恩恵である事は、ここに紹介された建造物が物語っている。人がどんなに汚れた欲望で始めた事でも、本人も知らずのうちに神が浄化へと導く事もあるのだと。





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シバの女王と珈琲を

スターバックスで「ムアン ジャイ ブレンド」を買った。
ピンクと臙脂のパッケージが可愛い。


「ムアン ジャイ」とは、タイ北部に住む山岳民族の言葉で「心からの幸せ」という意味だそうだ。タイの豆にインドネシア、パプアニューギアイの豆をブレンドしたもの。同じインドネシア産の豆を使った「コモド ドラゴン ブレンド」が気に入っている私には、これも気に入りそうだ。


珈琲の発祥はエチオピアだと言う。最近は南米より、アフリカや中近東の豆を買う時が多い。その方が珈琲の原初の味に近い気がするからだ。あくまでも気分の問題だが。そうして、シバの女王とソロモン王の物語などに、思いをはせているのである。


ひとつ、思い出した・・・


たまに「お好きでしょう」と、どこかの特売で買ったらしき珈琲をくれる人がいる。安いか高いかという問題ではない。出来る範囲で、日常を好きなものに囲まれて暮らしたいと願っている私には困る場合が多い。漫画が好きだからといって「To LOVE る」を全巻もらっても、私はうれしくないのだ(笑)

こういう贈り物をする人は、えてして一面的にしか物を見ない人が多い。カーマニアに「どの車だって同じでしょ」と平気な顔で言える、それが相手の存在意義を傷つけると理解出来ない人達である。


別にこだわるのが人生のすべてはないけれど、せっかくこの世界には様々なものを神様が用意してくれたのだから、それを探求する事は、生きる喜びのうちに入ると思っている。


ソロモン王が、多くを知る事を推奨していたように。



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焼夷弾が・・・

北村和夫追善公演「朗読劇・女の一生」を観た。


昨年亡くなった北村氏は文学座の代表的な俳優であり、故・杉村春子主演「女の一生」の栄二役を持ち役としていたのは有名だが、今回の公演は文学座のものではなく、北村氏の主宰していた勉強会”北村塾”の手になるものだった。


両国のシアターX(カイ)は、最大300席のこじんまりした劇場で、生身の人間のすなる劇を観るには丁度良い感じの良い空間であった。朗読劇というだけに、最低限の舞台装置と後は演ずる個人の技量にかかってくる。生半な役者ではつまらなくなる。

舞台の上には、正方形の箱が幾つかあるだけ。
それが椅子にもなり、積み上げて石灯籠にもなる。


主演の淡島千景、白石奈緒美以下、ベテランが多く良い舞台になっていた。文学座関係の俳優も多いので、明晰なセリフと戦前の日本の良き言葉の響きが心地良かった。堤家の屋敷の室内、少し薄暗い廊下、金糸の褪せた布張りの肘掛に詰め物をした安楽椅子、独逸製のピアノ、チューリップを逆さにしたような硝子の傘の灯、西洋料理の匂い・・・そんなものが、ないのにあるような気がしていた。(それは私の記憶の中の産物であるのだろうが)


観客の年齢層は高かった。往年の「女の一生」の舞台を何度も観たという人も多かった様だ。白髪をきっちりと結い上げ、着物を見事に着こなした(普段から着ていないとああは身に付かない)老婦人が、身内に恭しく手を引かれて来たり、人品骨柄卑しからぬといった風の紳士淑女、きっと末期に月夜でカドリールを踊る粋を解るであろう人々が多かった。


舞台が始まった途端、アクシデントは起きた。後方の席が騒がしくなった。一人の老人が脳溢血か何かで倒れたらしく、係員が駆けつけ、運ばれていった。昭和二十年三月、あの戦争の末期に、空襲警報で何度も中断されながらも最後までやり遂げたという、伝説の初演を彷彿とさせる出来事であった。


勿論、騒ぎの最中も舞台は続いていた。


そして・・・第五幕、戦争の激しさの中、夫の伸太郎がけいの手を握って事切れる場面、空襲警報と空爆の音声が流された時、再びアクシデントは起きた。


突然、先程見かけた老婦人が「焼夷弾が・・」と叫んだ。それから何やら話し始め、傍らの人になだめられていた。空爆の音が、老婦人の記憶をいたく刺激したのだろう。その場所には、様々な「女の一生」が繰り広げられていた。誰もが”けい”の一部を身の内に持ち合わせていた。そういう人々であるからこそ、いっそうこの名作に涙誘われたのだと思う(それは安手のお涙頂戴の涙ではない)。


やはり、舞台を観るのは面白い。
そして人生という舞台に、もう少し居ても良いと思うのは、こういう時なのだ。



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結界師(20)

正守兄さんと扇一郎の決戦。
そして裏会の闇が結界師と墨村家に忍び寄る。


最近の漫画は主人公不在の方が面白いという、構成からして間違えている作品が多いが、この漫画はいくら正守が中心の話となっても、その根底には「結界師と墨村家」「正統後継者」というテーマがある為、良守が主人公である事が揺るがない。そこが上手い。六郎に正守が抱く思いにも、良守との複雑な関係が見え隠れする。


「くずれそうになる・・」という正守の言葉。


その一言で、追い詰められた正守と周囲の状況を表しているのも素晴らしい。良守は昔思っていた程、兄が万能でない事を知っている。彼なりに家族の為に変わろうとするのである。


しかし扇一族との争いの中で、近づいたかに見えた兄弟の心は、再び離れて行かねばならなくなる。奥久尼との密約で、正守は心を鬼にして、良守を利用せねばならなくなる。すべてを守る為に・・・


連載では災禍は墨村家だけでなく雪村家にも及んでいる。結界師全員が危機的な状況の中で、良守はどう変わっていくのか。それもこれからの興味ある所である。





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二十億光年の孤独

谷川俊太郎の詩に出会ったのは歌が先だったと思う。
或る歌に彼の詩が使われていたのだ。


詩には二種類あると思う。
心で読みながら一人静かに感じ入るものと
声に出して読むと更に心の底まで染み入るものがある。


谷川俊太郎の詩は、後者だと思う。


はっきりとした母音が心地よく、難しい言葉を羅列するのではなく
どこにでもある言葉を拾い集めて丁寧に並べてある。


柔らかく、そして鋭い。


この本には「私はこのように詩をつくる」も掲載されている。これは創造はつまる所理屈ではないという、小説家も画家も詩人も含めて(おそらく神も)常に抱えている思いが、そこに書かれているのだ。もし理屈や法則だけで名作が生まれるなら、今の世の中ならそんなソフトが出回っているだろう。


初音ミクだって、使う人がいてこそだ。


自筆ノートの写真や巻末から読むと英訳も楽しめる。対訳の詩集を読むといつも思うのだが、言葉の響きをそのまま他国語を使う者に伝えるのは難しいが、詩の持つ魂の響きを伝えるのは可能だと思う。訳者が詩人の心を持つのであれば。





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Bastard!!(25)

ダークシュナイダーとウリエルの戦いは続いている。


人間の感覚しかない私には、すでに理解不可能な世界が続いている。
天使も悪魔も見守る中、神だけが不在の様である。


その点に関しては、どの世界も同じらしい・・・


この漫画も始まって二十年経つそうである。
このまま無限の彼方まで続くであろうか。


そういえば、オンラインゲームはどうなったのだろう。
あの戦いの開始も順延続きである。


こちらについても、神の感覚で待たねばならないのだろうか。





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